クリエイティブとの出会い – インサイトコミュニケーションズ代表 紫垣樹郎氏(1/5)

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KOLEIZOSCOPEインタビュー第2回は、株式会社インサイトコミュニケーションズの代表取締役、紫垣 樹郎さんのお話を伺いました。
紫垣さんとは、以前「伝説の新人」というセミナーで私が講師の一人として協働させて頂いたご縁で交流が始まりました。紫垣さんは、経営・組織人事の課題とクリエイティブ分野の専門性をつなぐことができる数少ないプロフェッショナルです。期待を胸に、虎の門のオフィスに紫垣さんを訪ねました。


  1. クリエイティブとの出会い
  2. 人の心が動くものを
  3. 本質は「相手の反応」にある
  4. グローバル化と企業理念
  5. 経営者のリテラシーとして

1:クリエイティブとの出会い

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古森
本日は、お忙しいところにお時間を頂き、ありがとうございます。以前から、一度紫垣さんのお話をしっかり伺いたいという思いがありましたが、ようやく本日実現致しました。ありがとうございます。
紫垣
こちらこそ、オフィスまでお越し下さりありがとうございます。あ、それから、独立おめでとうございます!
古森
ありがとうございます。以前、紫垣さんたちが主催されていた「伝説の新人」セミナーで講師をさせて頂きましたが、あの時も、私はキャリアの中で何度も「新人」をやり直しているという話を致しました。今回独立して、また「新人」になりました(笑)。よろしくお願いいたします。
さて、本日はまず、紫垣さんがクリエイティブ分野に足を踏み入れた経緯からお伺いして、仕事へのこだわりなどについてお聞かせ願えればと思っております。
紫垣
わかりました。何なりと聞いて下さい。
古森
紫垣さんが最初に就職されたのは、リクルートでしたね?
紫垣

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そうです。1989年、バブルのピーク時に入社しました。求人系の広告業が急伸していた時期で、私は営業系の仕事を希望していました。ところが、配属されたのは制作部門だったのです。最初はがっかりしましたが、働き始めてみるとイメージは変わりました。当時リクルートの中でもトップクラスのプレイヤーとして鳴らした先輩方が3~4人おられて、「あの人たちみたいになりたい!」と思えたからです。
古森
「コト」よりも「ヒト」にまず感じるものがあって、目線が変わったのですね。その先輩方は、どんな仕事をしておられたのですか。
紫垣
大手企業のクライアントに対して、枠にはまらない新しい採用企画などの提案をどんどん打ち出していました。そして、その過程で現れる広告表現、コピーやデザインの面白さに夢中になりました。「こんな見せ方があるのか!」と。
古森
一流の「ヒト」の仕事に接して、クリエイティブという分野の「コト」に興味を持たれたのですね。
紫垣
興味を持ってのめりこみ始めたころ、「賞をとると有名になる」ということを知り、体育会系で野球部をやっていた血が騒ぎました。たくさん勉強して知識を蓄え、3年目くらいで目に見えて良い結果が出るようになりました。その頃から、仕事が好循環に入っていきました。
古森
まさに「伝説の新人」ですね。
紫垣
その調子で頑張って4年目に人事評価でダントツのトップになれたまではよかったのですが、燃え尽きそうになってしまいまして・・・。張り合いがなくなったというか、疲れを感じるようになってしまったのです。
そんな私を見て、ある先輩が「会社の中で一番になったくらいで、何を言っているんだ」と。その言葉に、ハッとしましたね。それで、さらなるチャレンジを求めて、東京コピーライターズクラブの新人賞に応募しました。日本の広告業界を代表する賞で何百人も応募する中、年間30人くらいしか受賞できない難関です。
古森
常にチャレンジに対して燃えるわけですね。それで、結果はいかに?
紫垣
最初の2年は鳴かず飛ばずでした。しかし、3年目のチャレンジで、なんと一人だけ選ばれる「最高新人賞」を頂くことが出来ました。
古森
一気に、突き抜けましたね。
紫垣
日本で一番の賞をとってしまい、嬉しさの反面、怖さも感じていました。たまたま打てたホームランだということは本人が一番よくわかっていましたし、賞をとったことにより、周囲の期待値も大きく上がってしまいまして・・・。
ともあれ、このようにして私のクリエイティブ・キャリアが幕を開けていったのです。

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